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2023.02.24
鳥刺しの歴史と二幸食鳥

鳥刺しの歴史
古くから鹿児島の人々にとって身近な食材だった鶏肉。煮込み料理や焼き物など、様々な料理で親しまれる中で、生肉を楽しむ「鳥刺し」が誕生したと考えられています。鳥刺しが南九州に広まった具体的な年代は不明ですが、「鹿児島県養鶏史」の江戸時代の項目には「一般的な家庭料理として鶏を刺し身で食べていた」という記録が残っており、少なくとも江戸時代には、鳥刺しが普及していたと考えられます。
鳥刺し文化の広がりと二幸食鳥
古くから鹿児島県内・宮崎県の一部で親しまれてきた鳥刺し。その食文化を広めるために、二幸食鳥創業前の昭和34年頃から鳥刺しの販売を開始しました。鶏を捌く工程から着想を得て、皮面を炙った鳥刺しを考案。焼目をつけない鳥刺しが一般的だった当時、食欲をかき立てるきつね色の香ばしい風味の鳥刺しは、一躍人気商品となりました。
昭和45年頃には、鳥刺しとして初めて小売店への流通をスタート。スーパーなどの生活に身近なお店で購入できる鳥刺しの先駆けでした。その後も自社の加工・管理方法の改良を重ねていき、物流インフラや冷凍技術の進歩もあって、現在では日本全国に美味しい鳥刺しをお届けすることができるようになりました。

鳥刺しの安全性向上へ、取り巻く環境も変化
鳥刺しの文化を守るため、鹿児島・宮崎の両県で、安全性を保つためのガイドライン「生食用食鳥肉の衛生基準」が平成12年2月に策定されました。このガイドラインでは、食鳥処理・加工業者、飲食店などが守るべき手順を示しています。
また加工業者では、「鶏の生食加工業者協議会(現:とりさし協会 )」を組織し、衛生講習などで安全性のレベルアップを図っています。国も同様に法整備や基準の策定に取り組む動きがあり、今後はより一層安全な鳥刺しを、全国で楽しめることが期待されています。